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February 20, 2005

自業自得と因果応報

去年の11月頃からだろうか、ずっと家で作業する仕事ばかりしていた。気持ちに余裕がないせいか、はたまた寒いせいか、ジョギングもスイミングもおろそかにしていた。ここ二三日ストレスを感じ、一昨日久しぶりに公園を走ってきたが、もう梅の季節なんだね。いつもは2周か3周するところ、腰の筋肉に違和感があって1周しかできなかった。やはりサボってたつけがきた。家に戻ってから少し休憩した後、悔しかったからもう1周しに行った。

オレは宗教についても無知な人間だから専門用語的な意味ではないが、オレ個人について言えば今のオレはまず自業自得と言ってもいい。情けない、あるいは何と能天気な。けれどもこれは「今までのオレ」に対する自戒を込めた話であって、もちろんすべての人が自業自得だなどと言うのではない。荒ぶる自然に巻き込まれた人々、これは自業自得ではなく(自業自得という言葉の難しさは「自」というものの捉え方にある。そこにいたのが悪いと、運の悪さまで「自」に含めろというのか?)、地球とか宇宙の活動の因果応報だ。通り魔に殺された人々、これも言葉は悪いが因果応報だ。大体、DNAってのが因果応報だ。(差別とか優劣を言っているのではない。オレは差別のような十把ヒトカラゲは大っ嫌いだ。)因果応報はいわゆる自業自得と別の次元から人に襲いかかる時に残酷なものであり、それが一般的にリアルと呼ばれているものなのだろう。憎しみや暴力という負の連鎖があるように正の連鎖もある。これらも因果応報だが、人間は単純なものではない。一人の人間の中に正と負の連鎖が絡み合って生きている。確かに人間は因果応報の中にいるのかもしれない。だが、理不尽なこの世のすべてを因果応報であると達観するのも早計だ。今、自分がここにいるのは因果応報と言えなくもないが、この瞬間に自分が何をするかは自分に委ねられている。この瞬間のオレは因果応報によってがんじからめにされているとは言えない。これまでは因果応報だった。これからも因果応報は続くだろう。けれども今という瞬間のみがやっとこさっとこの可能性を秘めているのだ。そういう意味で理不尽なふるまいは因果応報などとして許されるべきではない。そしてまた因果応報は、物事を理解しようとする人間が編み出した一つの公理に過ぎないのかもしれないのだ。

Posted by morio at February 20, 2005 09:58 AM